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茂木ビワ関係 三浦シヲの墓


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ページID:0004691 更新日:2024年11月11日更新 印刷ページ表示

茂木ビワ関係 三浦シヲの墓

(もぎびわかんけい みうらしをのはか)

市指定有形民俗文化財

三浦シヲの墓

指定年月日 令和3年1月5日

所在地 長崎市茂木町2142番地 玉台寺内

三浦シヲ(本名:荒木ワシ)は、茂木ビワの始祖といわれている。シヲは文政元年(1818)茂木村北浦名元木場に生まれ、長崎で唐ビワ種を入手して茂木にもたらし、茂木にビワが広がったと言われている。なお、唐ビワ種の入手先や伝えた経緯については諸説ある。
茂木ビワの沿革については、明治42年(1909)『日本園芸雑誌』の記述に長崎の唐人部屋に出入りする者から茂木にもたらされたとあり、昭和9年(1934)建立の茂木枇杷記念碑において、三浦シヲの名が見られる。長崎市における代表的な産業の一つである「茂木ビワ」生産の始祖として、三浦シヲの名は地域において語り継がれる伝承であり、現在も大切にされている。
墓石には「明治三十年旧正月二十日荒木ワシ行年八十才」と刻まれており、茂木ビワの由来に関わる数少ない資料の一つといえる。
備考

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バス「茂木」下車徒歩10分