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第36回文学講座(H30.9.8)
題目 潜伏キリシタンは何を信じていたのか
―遠藤のかくれ切支丹理解との対比―
講師 宮崎賢太郎氏(長崎純心大学客員教授)
平成30年9月8日(土曜日)、「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の世界遺産登録にあわせ、長崎純心大学客員教授の宮崎賢太郎氏をお招きし、文学講座を開催しました。
遠藤の『沈黙』を読んだことがきっかけの一つとなってキリシタン研究を志され、その長年にわたる研究をわかりやすくまとめられた新著『潜伏キリシタンは何を信じていたか』(角川書店、平成30年2月)を刊行された宮崎氏に、史実の視点から見た潜伏キリシタンのキリスト教受容についてご解説いただきました。
「230年余りの長い潜伏時代のあいだ仏教や神道を装い、秘かにキリスト教の信仰を守り通した」という一般的な潜伏キリシタンに対する見方は史実として正しいのか、という問いから講座は始まりました。
宮崎氏は豊富な資料を示し、翻訳や通訳の問題から見ると、当時の民衆がキリスト教の教義を理解することは難しかったと持論を述べます。そして、「潜伏キリシタンたちが何かを大切に守り通したのは事実だが、それは神仏信仰、民間信仰、先祖崇拝の上にキリスト教的要素も加わったものだった」と、民衆における信仰の実像を解き明かしました。さらに、遠藤が晩年に関心を寄せた宗教多元主義にまで話は及びました。
最後に、史実の点から見た潜伏キリシタンの信仰と歴史を理解した上で、遠藤の評論「日本の沼の中で」を読み解くことにより、遠藤が史実を客観的に述べている部分と小説家として創作的に描いている部分が明らかとなりました。創作の部分にこそ遠藤の問題意識を孕んでおり、〈転び者〉への遠藤の関心や、〈許す神〉を希求する遠藤文学への理解を深めることができました。