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更新日:2013年3月1日 ページID:004126
ページ | ナンバー | 掲載地区 |
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1 | No.1~18 | 伊良林・上長崎・磨屋・新興善・桜町・西坂 |
2 | No.19~38 | 矢上・高城台・日見・橘・戸石・古賀 |
3 | No.39~66 | 稲佐・朝日・水の浦・飽の浦・立神・小榊・福田・式見・三重 |
4 | No.67~91 | 外海・琴海 |
5 | No.92~125 | 茂木・田上・日吉・愛宕・小島・仁田・佐古・大浦 |
6 | No.126~151 | 戸町・小ヶ倉・ダイヤランド・土井首・南・深堀・高島・伊王島・香焼 |
7 | No.152~172 | 三和・野母崎 |
8 | No.173~196 | 銭座・坂本・山里・高尾・三原・西山台・西浦上 |
9 | No.197~221 | 滑石・横尾・虹ヶ丘・西北・西町・城山・西城山・小江原 |
普賢神社、矢上神社、正覚寺、滝の観音
諫江八十八ヶ所霊場のうち5ヶ所が矢上町にあります。1.矢上町侍石普賢神社内(諫江八十八ヶ所霊場 第七十番札所)、2.矢上町 矢上神社境内(第七十一番札所)、3.・4.矢上町 正覚寺境内(第七十二・七十三番札所)、5.矢上町平間 滝の観音本堂前(第七十四番札所)
(矢上)
矢上町76
役屋敷跡は長崎開港に伴い、佐賀藩主、諫早藩主、肥後藩主との報告、連絡、紛争、願書などの処理等が多かったため、往時には3名が執務し、周辺の民事・刑事等の案件その他を専決処理しました。裏には武道場や稽古場等があったそうです。明治になり払い下げられ、一部は改修されていますが、面影は残っています。特に石垣は「亀の子くずし」という積み方で、諫早石工の技術が見られます。
(矢上)
平間町
城といえば深い塀をめぐらし、巨大な石垣の上に建つ天守閣を持つ建造物というイメージがありますが、城郭とは外敵防止のための砦です。正式な名称はなく、その土地の名や、近くの地名を用いて、便宜上つけています。
(矢上)
現川
JR現川駅より約1キロメ-トル山手に入った所にあります。五輪塔の地輪が基盤で、花立が墓石箱になっています。墓石の人物、藤井次左衛門(安政4年9月没)と婦人の戒名が見られます。藤井氏は、碁を好んだ人物であったようです。
(矢上)
間の瀬
間の瀬の薬師院跡に、ケンポナシの大木があります。ケンポナシは県内でも希少な植物で、その花は五角形の星型をしています。実は梨のような味がするそうです。
(矢上)
高城台1丁目22-1高城台小学校校庭からの眺望
本校校庭から望む風景です。左に見えるのは、古くから信仰の山として親しまれている矢上普賢山です。地元のシンボルとして大きく威厳たっぷりに町を見つめています。本校校歌にも「朝、夕普賢を仰ぎ見て」と歌われています。また、中央にかすんで見えるのは雲仙普賢岳です。天気が良い日には、くっきりと姿が見られます。普賢のツーショットとして、本校の自慢です。
(高城台)
間の瀬、中尾、現川、馬場、田之浦、平野、かき道、矢上町
長崎でも古い歴史を誇る矢上神社。こちらの例祭は毎年10月17日に行われ、「矢上くんち」と呼ばれています。この日は、地域にまつわる民俗芸能が披露されます。矢上村は8地区からなっており、創始の年代は明らかではありませんが、古代から伝わった「浮立」と称するものを時々夏季に挙行し、主に雨乞いの祈願用に出場していました。これが公共的祝賀の事がある場合も娯楽芸として出場することになり、今では矢上くんちの際に披露されています。それぞれ保存会の方々が守っている伝統芸能です。
間の瀬狂言/中尾獅子浮立と唐子踊/現川浮立/馬場本浮立/田之浦本浮立/矢上平野浮立/蠣道浮立/矢上町コッコデショ
(矢上)
宿町3-16
昭和34年東洋一の水族館として建設された旧水族館が平成10年に閉館。長崎市は隣接地に新水族館を建設しました。これが平成13年4月新水族館「長崎ペンギン水族館」です。8種類のペンギンをメインとする水族館と自然体験ができる海浜公園を一体化した設備です。年21万~23万人もの人が訪れます。平成21年7月11日には、ペンギンが自然の海で泳ぐ「ふれあいペンギンビーチ」もオープンしました。
(日見)
芒塚町
300年前の江戸時代から「雨ごい」のため松露渕神社に奉納されている獅子舞いです。露払いの「月の輪」に始まり「唐子の玉使い」と親子の獅子がじゃれ遊びます。笛の合図で、大太鼓、小太鼓、鉦(大、小)で囃子が始まり“アーソコイ”の掛け声で獅子舞を盛り上げます。従来の例際は7月15日でしたが、現在はその日の前の日曜日に祭りが行われています。平成2年には、芒塚獅子舞保存会が長崎市教育委員会の団体功労表彰を受けました。
(日見)
芒塚町
平成16年3月27日、ながさき出島道路が供用開始しました。「日見夢大橋」(日見小3年松尾春花さん命名)は長さ365メ-トル連結式で芒塚町に架設されています。界1丁目岩這付近からの眺望、また、橋の上付近から宿町、遠くは橘湾の眺望もすばらしいです。
(日見)
春日町(網場の突端から約1.5キロメ-トルの海上)
安政2年(1855年)、オランダ国王の令で日本に来たリンデン伯は出島に4か月滞在しました。後に彼が記した「日本印象記」には、岩の絵が描かれており、そこには「ルイ十四世岩」の記述があります。巨岩の形と荘厳さから、出島でそう呼ばれていたようです。江戸時代から海外に開かれていた長崎らしい名前であり、わがまちの自慢です。地元では、「立石」と呼ばれています。水神様の祀りがあり、日見地区ペーロン大会で優勝したチームがお礼と海上祈願にお詣りしています。
(日見)
かき道1丁目
かき道が生まれたのは今から348年前(寛文2年)。当時は5世帯~6世帯で山の中で生活をしていたようです。その後5回にわたり開発が行われ、現在約340世帯が生活しています。昭和初期には中羽イワシの豊漁で町民全体がニボシを作り、豊かな生活を送っていました。150年前には蠣道浮立がはじまり、115年前からはペーロン大会が盛んに行われ、今でも町の2大イベントとして若者から年寄りまで元気よく楽しんでいます。
(橘)
橘地区
平成10年に再編された矢上団地自治会連絡協議会は、矢上団地内の14自治会と自治会会員で構成され、会員の親睦と福祉を増進し、明るく、住みよい、清潔で安全な街づくりを図ることを目的としています。(会員数2,343世帯)。現在は、本会以外にも、橘小学校・橘中学校はもとより各々のPTA等も一体となり、自主的、自発的、積極的に「住みよいまちづくり」に取り組んでいます。具体的な活動として、以下のものがあります。20年以上にわたる盆踊り大会(21年度参加者2,000人)、大運動会(21年度参加1,100人)、団地内の一斉清掃(年4回、毎回2,000人の参加者)、婦人部講座やまちづくり講座の実施(1講座50人の参加者)の実施。15年以上にわたる防犯活動の実施(年2回の徒歩による夜間パトロール、平成18年からはNPOたちばなを発足させての青色防犯パトロール)、環境美化活動の実施(年に2回、3回樹木の剪定作業)、橘小学校児童の自転車の安全教室の開催、平成19年からのイルミネーション事業プロジェクトクリスマスパーティーなども開催。10年以上にわたる広報誌の発行(年3回、各自治会を通じて全戸配布)。自治会加入率は98%以上を誇ります。
(橘)
東町
東長崎のほぼ中央、矢上戸石にまたがってそびえる海抜440メ-トルの山で、土地の人達には「普賢さん」の名で親しまれています。山の9合目あたりの森林の中に、神殿、社務所があり、頭の神様として信仰を集めています。ここから頂上付近は奇岩怪石が累積し、数々の地蔵尊と羅漢像などがある神仏配祀の霊山です。頂上からの眺望は、雄大にして絶景でしばし世俗の煩いを忘れさせてくれます。名実ともにわが町のシンボルと云えましょう。
(橘)
牧島町曲
曲崎古墳群は、5世紀末から7世紀はじめ(古墳時代)につくられた古墳です。平成20年度末現在で、101基の積石塚と遺構約500か所が確認されています。また、ガラス製品の玉類や、当時の人々が使用した壺や甕も発見されました。国指定史跡(昭和53年)となっていることから、現在は見学用通路が整備され、一般に公開されています。
(戸石)
上戸石町1233-1上戸石五穀神社
上戸石町のささら浮立は、約250年前から五穀豊穣や雨乞い祈願として始まりました。現在も毎年7月上旬、田植え後の祈願として毎年五穀神社などに奉納しています。笛、太鼓、小太鼓、鉦、ささら踊り、かけ踊り、奉環道踊りなどは、諫早市小長井町や飯盛町田結から伝承されたといわれます。ささら浮立、かけ踊り、奉環道踊りは毎年交代で行われます。過去3回長崎郷土芸能大会に出場しました。
(戸石)
戸石漁港牧島臼の浦漁港・牧島町435地先
戸石船津、牧島地域は従来より漁業が盛んな地域で、現在も橘湾を主な漁場とする底引き網魚や養殖業が盛んです。このため漁船が多く、この漁船を建造する造船所があります。ペーロン大会は漁業者の海の祭りとして300余年前より行われていたと言われています。【戸石ペーロン大会】戸石ペーロン大会は、この大会を将来に向けて継承しようとのことで、平成15年より戸石ペーロン協会を設立してペーロン大会を開催しています。ペーロン大会は長崎市のペーロン大会より二週間前の日曜日に開催されます。また、ペーロン大会は戸石漁港と、牧島の臼の浦漁港で一年ごとに交互に開催されています。出場チームは地域代表8チーム、中学校3チーム、婦人部と職域の女性チームの4チーム合計15チームが参加して盛大に行われています。【牧島ペーロン愛好会】長崎は関東、関西より多くの修学旅行生が来崎しています。今までは見る観光でしたが、今後は自ら体験する観光にかわっていくと考えています。牧島ペーロン愛好会はペーロン船16隻を保有しており、修学旅行生を中心に、ペーロンの体験学習が出来るような体制を整えています。現在年間の体験者は約2万人です。体験学習施設として、脱衣所やシャワー室等を備えた施設が2棟あり、他の施設にはない特色ある施設となっています。
(戸石)
松原町2509赤瀬邸内
400年の歴史を誇り、豊かな自然環境と四季折々の美しさを楽しめる古賀「植木の里」を象徴する樹木で、まさに「わがまちの自慢」です。この日本一のラカンマキ(樹齢約600年、幹回り約4メ-トル、枝張12メ-トル、樹高10メ-トル)は、その昔、中国浙江省から持ち込まれたと伝えられており、剪定整枝されたラカンマキとしては、日本最大といわれています。果托の上の種子が坊主頭のようで、まだ仏に成りきらない羅漢にたとえて「ラカンマキ」と称されたといわれています。
(古賀)
古賀八幡神社、古賀の藤棚、古賀人形、福瑞寺
古賀地区は、長崎街道の永昌宿(長崎県諫早市)と矢上宿の間に位置しています。長崎街道沿いには、キリシタン大名であった、有馬氏(一時は大村氏)の領地であったことを偲ばせるキリシタン墓碑が点在し、また、その後の松倉氏によって神社仏閣の再興が命じられたことによって建立された福瑞寺や八幡神社が鎮座しています。長崎代官が治める天領となった後も街道を行きかう人々の休憩所であった古賀の藤棚が今も残り、また往来の人たちのみやげ物となった古賀人形が江戸時代の型を現在も用いながら作り続けられています。このように歴史豊かな古賀地区の長崎街道は、地域住民の誇りとなっています。
(古賀)
船石町二双船
二双船橋を渡った先の小高い丘の上に静かな佇まいの民家があります。この民家を訪ねると一株の巨大なタブの古木が迎えてくれます。樹齢数百年にもおよぶと思われるこのタブの木の見所は、地上3mくらいの所から幾重にも枝分かれし、道路から4メートルほど上がった玄関へと導くスロープの頭上に、その枝たちが折り重なって緑のトンネルをかたちづくっていることです。古来タブの木は、神々の依りつく神木とされています。ここを訪れる人々を何かしら神々しい気持ちにさせてくれる、地域を代表する樹木です。
(古賀)
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