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更新日:2024年4月15日 ページID:030554
長崎と天草地方の潜伏キリシタンが、禁教期に密かに信仰を続ける中で育んだ独特の信仰形態を示す類まれな遺産です。
潜伏するきっかけとなる出来事が起こった「原城跡」、密かに信仰を続けていた各地の「集落」、信徒発見の舞台となった「大浦天主堂」など、長崎県、熊本県の6市2町に残されている12の構成資産で「禁教・潜伏期」を物語っています。
長崎市には潜伏集落であった「外海の出津集落」・「外海の大野集落」、信徒発見の 舞台となった「大浦天主堂」の3つの構成資産があります。
外海地域では、1571年にイエズス会宣教師が宣教を行い、キリスト教が伝わりました。
「外海の出津集落」は、潜伏キリシタンが聖画像をひそかに拝むことによって自らの信仰を隠し、教理書や教会暦をよりどころとして信仰を続けた集落です。現在でも、集落を管轄していた代官所跡や指導者の屋敷跡(現在は旧出津救助院、ド・ロ神父記念館)、墓地などが当時と同じ場所に残されており、潜伏キリシタンの集落であった頃の様子がよく分かります。
集落内には、キリスト教解禁後、カトリックに復帰したかつての潜伏キリシタンの奉仕によって1882 年に建設された出津教会堂があります。
外海の出津集落に関する詳細はこちら (English) (한국어) (简体中文) (繁体中文)
外海地域では、1571年にイエズス会宣教師が宣教を行い、キリスト教が伝わりました。
「外海の大野集落」は、潜伏キリシタンが表向きは仏教徒となり、さらに集落内の神社の氏子となって、仏教や神道の信仰を装いながら、自らの信仰対象を神社にひそかにまつり祈りの場とすることで信仰を続けた集落です。
集落内には、キリスト教解禁後、集落内の26 戸の信者のために、出津教会堂の巡回教会として1893年に建てられた大野教会堂があります。
外海の大野集落に関する詳細はこちら (English) (한국어) (简体中文) (繁体中文)
「大浦天主堂」は、日本の開国により来日した宣教師が1864年に建てた教会堂であり、潜伏キリシタンが2世紀ぶりに宣教師と出会い、その後カトリックへ復帰する者があらわれるなど、新たな信仰の局面を迎えるきっかけとなった「信徒発見」の舞台です。この出来事は、その後に各地の潜伏キリシタンの集落において、潜伏期に守られてきた伝統的な信仰の形態が終わるきっかけとなりました。
構成資産内にある教会堂(大浦天主堂以外)の適切な公開に向けて事前連絡制をとっています。
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外海の出津集落(日本語版)(PDF形式 10,380キロバイト)
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2つの世界遺産について学ぼう!(PDF形式 9,084キロバイト)
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