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平和
1945年8月9日午前11時2分は、長崎にとって忘れることのできない瞬間となりました。8月6日の広島に次ぎ、世界で2発目の原子爆弾が投くだされ、多くのかたの命が一瞬にして奪われました。この日のことを忘れないために。繰り返さないために。被爆地長崎には、平和を伝え、未来へつなぐものがたくさんあります。
平和祈念像
1955年に完成した平和祈念像。像の高さは約9.7メートル、重さは約30トンで、右手は原爆を示し、左手は平和を、顔は戦争犠牲者への冥福を祈る表情となっています。2019年には「平和を希(こいねが)う光」をコンセプトに優しい光でライトアップされ、昼夜を問わず、訪れた人が平和への祈りをささげられる場所となりました。
原爆落下中心地
1945年8月9日、午前11時2分。アメリカのB29爆撃機から投くだされた原子爆弾は松山町171番地の上空約500mで炸裂し、一瞬のうちに多くの尊い人命を奪いました。現在、その地には落下中心地標柱として黒御影石の碑が立てられています。園内には被爆当時の地層も残されており、そこには原爆によって壊された家の瓦やレンガのほか、約3,000度の熱で焼け溶けたガラスなどが今も大量に埋没しています。
平和教育
8月9日を全校登校日として、小中学校で「平和祈念式」「平和集会」を実施しています。原爆資料館などの見学や被爆体験の講話で被爆の実相と継承について触れるとともに、平成30年度からは新たな平和教育の柱「平和の創造」を加え、児童や生徒同士で対話しながら、一人一人が平和について考える授業を実施しています。
永井隆博士
医学博士でありカトリック信徒だった永井隆博士。レントゲンの検診の際、浴び続けた放射線の影響により、白血病を患い余命3年の宣告を受けました。その後、原爆によって妻を亡くし、自分もまた白血病と戦いながら原子病の研究と発表を続けました。病床でも筆を執って「平和を」の文字を千枚書き、知人や世界各国の人々に送り平和を訴えました。
山王神社の大クス
山王神社境内入口の2本のクスノキ。ともに原爆を受けて幹の上部は折れ、熱線で焼かれました。一時は枯木同然でしたが、次第に生き返り樹勢を盛り返し、焼け野原から復興に向かう被爆者らを勇気づけました。平和や再生のシンボルとして親しまれ現在では長崎市の天然記念物に指定されています。
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