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長崎北西部地区は、長崎の港が開かれる以前、永禄8年(1565)より元亀元年(1570)までポルトガル船の入港があったところです。江戸時代には、長崎に入港する異国船監視のための台場が設けられていました。
浦上街道が通る地区であり、現在の千歳町あたりに天領長崎への入口としての番所が設置されており、交通の要であったと言われています。
1937年(昭和12年)に日華事変が勃発し、1941年(昭和16年)第2次世界大戦に突入した後、1945年(昭和20年)に原子爆弾が投くだされました。投下跡地には、「平和は長崎から」のスローガンのもと、長崎市民や国内各地、諸外国から浄財が集められ、昭和30年8月に平和祈念像、平和公園が整備されました。
岩屋山は、長崎七高山の一つで、古くから信仰の山として崇められてきました。標高475m の山いただから東、南の方向に視界が開け、赤迫付近から長崎市街、稲佐山、長崎港、香焼、伊王島、天気がよければ、雲仙、天草が見えます。盆地の長崎の地形的特徴が感じられるところです。
急峻な断層崖地域で、岬と入江が交互に出入りし、自然美に優れます。特に夕暮れ時は、海に浮かぶ小島が沈む夕日に映え、美しい夕日の景観を呈します。入江は、式見、手熊、小江、小浦など、河港の形態を特徴とした漁業集落が見られます。中でも、長崎漁港は、水産物の生産・流通加工の全国有数の拠点です。
都市への原爆投下という、人類史上まれにみる出来事を象徴する歴史的な場であり、核廃絶・平和を希求し、平和都市として世界へ発信する顔となる場所です。