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鎖国時代は、伊王島にある遠見岳から、長崎港へ出入りするオランダ船、唐船の見張りをしたところです。また、伊王島の最北端に位置する伊王島灯台は、徳川幕府の末期慶応2年(1866年)5月にイギリス、アメリカ合衆国、フランス、オランダの4か国と江戸条約を結んだ時に全国で8ヶ所に設置された中の1つです。
これは鉄造洋式灯台では日本で初めての貴重な構造物とされています。
近代に入ると、昭和16年の炭鉱開抗で人口が急増しました。しかし、島の繁栄を導いた炭鉱が昭和47年に閉山し人口が急減しました。
近年は、風光明媚で豊かな自然と人情豊かな優しい風土を生かして、平成元年からリゾート施設を拡充し、リゾートの島として親しまれています。
干場(萩)台場跡
船が伊王島の港に近づくと、船上から、斜面に立ち上がる馬込教会と漁港集落が見えます。教会は集落のほぼ中央に位置し、海の向こうに外海や樫山が望めます。
伊王島灯台は、わが国初の鉄製灯台です。白亜の灯台を近くに長崎港の外洋を眺望することができ、海域景観における高い価値を有しています。