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野母崎地区は九州本土最西南端長崎半島(野母半島)の先端部に位置し、西北は五島灘を経て、遥かに五島列島を望見し、南西は茫洋たる東シナ海にのぞみ、東は橘湾、天草灘を望んで島原半島と天草諸島と相対して三方を海に囲まれています。
このようにまわりの景観を一望のもとに収めることができる野母崎には、鎖国時代、異国船の出入りを監視するために遠見番所が設けられました。また、重要な港湾である樺島、脇岬、高浜は天領(江戸幕府の直轄領)とされました。
和胴2年(709年)に行基が開山したとされる観音寺から長崎へいたる観音寺道路は、長崎商人の密貿易に利用され、観音寺には、彼らが寄進したとされる遺品が多く残されています。
江戸期には、中国との交流もあり、長崎から観音寺まで7里の御崎道を通って参拝する人でにぎわった所で、信仰とまちなみ、港、行楽地が一体となり、威風堂々とした趣のある情景が見られます。
樺島集落は、寺院、神社が町中や山手にあり、町家建築などが一部残されています。白亜の樺島灯台からは東シナ海が一望でき、桃瀬では、海食により出来た洞窟や桃の形をした奇岩を望むことができます。
権現山からは、端島、高島、五島、天草、遠く鹿児島の甑島まで望め、朝陽、夕陽が美しいところです。外国船を見張る遠見番所跡、長崎まで連絡していた狼煙台跡が見られます。
海蝕崖の険しい海岸線が続く、国道499 号沿いの黒浜から弁天山あたりは、4億8千万年前の地層が露出し、ひときわ力強い自然美が展開します。海岸線からは夫婦岩や、端島(軍艦島)が見えます。