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更新日:2017年1月18日 ページID:005149
中心地地区は、「祈りのゾーン」として聖域化を図り、被爆の史実を伝え、被爆により亡くなられた方々のご冥福を祈る空間として整備されています。
この地の上空500メートルで炸裂した原爆は、一瞬のうちに多くの尊い人命を奪いました。塔の前に置かれた原爆殉難者名奉安箱には原爆により爆死された方、被爆者でその後亡くなられた方々の氏名(複製)を奉安しています。
大正3年(1914年)に天主堂、大正14年(1925年)にその双塔を完成させ、東洋一の壮大さを誇った浦上天主堂は、原爆によりわずかな堂壁を残し崩れ落ちてしまいました。この遺壁は、聖堂の南側の一部を移築したもので、原爆による石柱のずれが注目されます。
祈りのゾーンを流れる「下の川」は、並木による遊歩道や親水性の高い護岸が整備されており、憩いの空間として多くの人々に親しまれています。
長崎市出身の富永直樹氏の制作によるもので、21世紀にはばたく日本の未来を、偉大なる母の慈悲心と温かな母の胸で眠る傷心の子供の姿で表現しています。
原爆落下中心地にあたるこの地層には、原爆によって破壊された家の瓦やレンガ、焼けた土や溶けたガラスなどが大量に埋没しており、被爆当時の悲惨な実相を示す資料として現地に保存されています。
原子爆弾落下中心地碑、原爆殉難者名奉安箱、浦上天主堂遺壁、親水護岸(被爆地層の展示)、被爆50周年記念事業碑、長崎原爆資料館連絡通路、モニュメン トほか
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